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品あるいは鹿の角でできた品物、中には鯨の骨を使ったものもあります。それからタイマイ(玳瑁)、亀の甲羅ですね。真珠、夜光貝、そういう動物質のもの。つぎに紫檀あるいは黒檀や白檀、沈香などというような植物質のもの。それから金、金は少ないのですけれども、銀、銅、鉄などの金属類。それから瑪##、翡翠、トルコ石、ラピスラズリ、あるいは水晶、琥珀がございます。そういう鉱物質のもの。これらがいろいろ組み合わされてつくられています。
第5番目には、宝物の製作技法もいろいろあります。金属加工した金工品、それから木でつくりました木工品、竹を使った竹細工。あるいは漆の製品。染織品、陶器だとか、先ほど言いました鹿の角、つまり角の細工品などもあります。中には現在もうすでに、今の日本では廃れてしまったような技術を用いたものもあります。
第6番目には、日本の国産のものも当然ありますけれども、中国や朝鮮の製品もあります。東アジアの国に限らず、東南アジア、さらには西アジアに至る広い範囲の国や地域でつくられたものもあります。また日本や中国でつくられたものでもその意匠と言いますか、デザインと言いましょうか、あるいは技術というものも、他の国々、シルクロードの国々で使っていたものが日本に入ってきてつくられているという場合もあります。
このように正倉院宝物は数々の特徴を持っておりまして、シルクロードと正倉院とが大変関係が深いということは、今までの話の中でもおわかりいただけたと思います。そういう意味で正倉院がシルクロードの終着点であるということを多分ご理解いただけたのではないかと思います。
そこで少し角度を変えまして、日本文化の特質というものを頭に置きまして、シルクロードと正倉院について少し考えてみたいと思います。
日本の国は非常に古い時代から中国や朝鮮の諸国と交渉を持っていました。文物の交流も盛んに行われました。それらの交渉を通じて7世紀中頃以降8世紀にかけて、我が国は中国の律令体制を取り入れ、中央集権的な国家体制をつくりあげました。そのような国家の都が奈良県の南に位置します藤原京であり、さらにそこから移りまして今この公会堂からでもすぐ見えますが、目の前に展開しております平城京であります。このような国家体制の形成というのは、その後の我が国の政治社会のもとになるわけでありますが、その時代の文化もまた我が国文化の基礎を形成いたしました。もっとも中国や朝鮮の諸国から学びました律令体制は、いわゆる中国的なものであります。したがって、政治のシステムや文化的なものの中に中国的なものが大変色濃く入っております。
奈良時代、つまり8世紀の我が国の都、平城京の状況を詠んだ歌の中に、これは万葉集ですが、「青によし 奈良の都に咲く花の 匂うが如く 今盛りなり」という歌があります。この情景は7世紀の中頃までの我が国ではとても考えられない風景であります。青い色の屋根瓦の建物、家があります。朱色の柱に塗られた色彩豊かな建造物が都のあちらこちらに建ち並んでいるという情景を詠っているわけです。そのような都は中国の階や唐にならって建設されたと言われております。
町並みだけではありません。多くの外国人もたくさん来ていたようであります。中国人や朝鮮から渡ってこられた人だけではありません。都大路はさまざまな国の人が行き交っておりました。一例を挙げますと、我が国の最も確かな記録であります『続日本紀』という歴史書がありますが、736年のところを見ますと、中国から帰国した遣唐使、これは中国への正式な使いとして出された人たちですが、その遣唐使とともに中国をはじめインドやカンボジアの僧侶が来朝したという記録があります。752年に東大寺の大仏様の完成を祝う儀式が行われますけれども、これらの人々はその時に大変重要な役割を果たした人でもあります。そのほかにもたくさんの外国人が来ておりまして、そういう一行の中にペルシア人、名前から判読するわけです

 

 

 

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